夏休み

この夏はたくさんお休みをいただきましてすみませんでした。
今年の夏も暑かったですね・・・。
今年は遠出するわけでもなく静かに過ごしていました。
我が家の娘は夏休み残り3日しかない今日から自由研究を始めています。どうなることやら・・
夏休みの終わりには毎年恒例の24時間テレビですね。
若いころは24時間テレビみることもなかったですが、30半ばくらいから毎年時間があればチャンネルは24時間テレビにしてみています。

去年も泣かされましたが今年も泣かされました・・・

どのエピソードかは忘れましたが、心に残った言葉があります。
あるお坊さんの言葉だそうです。

人の幸せとは4つあるそうです。・・

1、人に愛されること
2、人に褒められること
3、人の役に立つこと
4、人から必要とされること

この4つが幸せの基本だそうです。

私たちは人間がお互いに助け合いながら生きています。
他人と思っている人でも同じ人間と思えば困っている人を見れば助けたいと思います。


ヨガで学んだ梵我一如この世に生きとし生けるものすべてはもともと一つの宇宙なのだ・・たという大きな概念で、私たちはもともと宇宙の一部でありもともと魂というもともと至福の存在だったという考え方があります。そこを知り至福に戻ることがヨガの最終目的の悟りに至る状態です。

そういう概念は宇宙の真理らしいけれど、もともと至福だとか、もともと私たちの魂は幸せという言葉は現実離れしているし、お金を稼いで食べて命をつなぐという生き方をしている現実社会、物質社会や欲にまみれて生きる私たちの視点からは、かけ離れたところがあるようなきがするけれど、上記の4つの言葉を聞くと私たちがこの世界で人間として生きる意味が分かる気がします。

人と人とがかかわること、家族を作ること、働くこと、何か誰かのお手伝いをすること、人から喜ばれたり、褒められること、人を褒めること、どんな小さなことも、自分の中の幸せにつながっていること。。。

ヨガの難しい哲学を知ったり勉強するよりも、わかりやすい基本的な言葉のほうが大切だな・・と
この夏はっと気づかされた良い言葉でした。



修習と離欲

ヨガを学び始めた初めの頃、教えていただいた先生がとてもすごい人で、ヨガの達人、聖人のような過大評価を持ちながら先生から学んでいたために、先生の人間らしい一面や、ちょっと感情的な一面を見たときに、ヨガを教えているくせに、聖人のようなことを言っているくせに・・と自分の中に勝手に先生に求めていた理想と現実の違いに怒りや苦しみを心に作り出したことがありました。

目の前にいる先生はただのヨガを伝えてくださっている先生であり、ヨガ的な生き方や知識を教えてくださっただけなのに、ありのままを見れず、先生に理想をぺたぺたとくつけてくつけて、自分の心が、良い悪い、好き嫌いの判断を勝手に行って、心に苦しみを勝手に作り出していたことにさえ気付けずにいた自分・・心が勝手に動いて判断してしまっていただけということにさえ気付けなかったこと。

これこそ無知だった・・・と今は思っています。

私にヨガを教えてくださった先生方、すべての方々に今は感謝とともに、私も人間らしく悩んだり苦しんだり、楽しんだり、しながらも、常に自分に張り付き、自分に気付く、ヨガの修習を忘れないように・・・自分の中に苦しみを作り出す欲や心の動きをどんどん手離しながら生きていけたら・・・と思いますが、欲は苦しみを感じないと必要ではなかったとはなかなか気付けません。。。そんなまだまだ未熟な自分がおります。笑

無私の思い

この世界には人を殺したり、人のものを盗んだり、傷つけたり、いろんな人間がいる。

しかし、宇宙はこの世界のすべてのものに分け隔てなく私たちが生きられる環境、空気、水、温度、光を与えてくれている。どんな人間にもどんな微生物にも・・・地球上の全てに与えてくれている。

それも何も見返りを求めず、分け隔てなく、ただ与え続けてくれている。

これこそ無私のおもいそのものであり、愛であり、私たちはそこに感謝の思いを持ちながら生きることできっと私たちの中からも無私の思い(愛)で常に誰かに何かを提供できるのではないでしょうか?